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祖母山も傾山も夕立かな

 投稿者:山口 青頓  投稿日:2018年 1月12日(金)14時59分55秒
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  季語は夕立で「ゆだち」と読ませる。祖母山(熊本、大分、宮崎にまたがる高峰)も傾山(祖母山の前山)も、夕立のただなかにあると詠んだ句。緑深い九州の山々が激しい夕立のなかに煙っている情景を読み手の脳裏に浮かび上がらせる壮大な写生句である。
 
 

「はいどうぞ」白詰草と石ころと

 投稿者:  投稿日:2018年 1月11日(木)18時21分24秒
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  原句「はいどうぞ」白詰草と石ころと
白詰草はクローバーのこと。春の季語です。

推敲「はいどうぞ」しろつめくさといしころと
「白詰草」と「石ころ」をそれぞれ片仮名と平仮名に変更し、「はいどうぞ」とともに柔らかい印象を与える表記とする。
 

わが帰路を入道雲の居座れる

 投稿者:大高 翔  投稿日:2018年 1月10日(水)16時51分51秒
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  即き過ぎの解消法。季語や句中の言葉を説明してしまったら、別の言葉に置き換える。季語は入道雲。句中で季語の説明をしないというセオリーです。俳句では誰もが抱くイメージを句のなかで説明しないほうがよい。「入道雲」がたちこめるのは空であり、即き過ぎの表現になっている。季語や句中の言葉を説明してしまったら、別の言葉に置き換える。即き過ぎの解消法です。原句は「大空に入道雲が現われる」。  

朧夜の反故の山より墨匂ふ

 投稿者:金子 敦  投稿日:2018年 1月 9日(火)15時27分53秒
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  [看板・表札・名札・リボン・式次第・封書の宛名などを毛筆で書いています]というのが作者の仕事。「かたはらに筆を置きたるまま夜食」という作品もあり、夜食をとる視線の先には書きかけの仕事が置かれているのでしょう。作者の職業の予備知識はさておいて一句を素直に読んだとき、「朧夜の反故の山」とは手紙なのか、手書きの原稿なのか、読み手は思いを巡らせます。下五「墨匂ふ」という言葉の使い方は、「反故の山」が書道による反故であることを伝えつつ、季語「朧夜」の存在へと転じます。墨で書いた「反故の山」、湿度を帯びた「朧夜」。「墨」の匂いは、季語「朧夜」の濃淡を嗅覚として味わわせてくれるのです。  

舌の下三寸あたりにて春愁

 投稿者:和人  投稿日:2018年 1月 8日(月)13時19分28秒
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  話し難い提案なのか、後味の悪い報告なのか、「舌の下三寸あたり」が居心地悪く重い.....。
経営コンサルタントという仕事は依頼主に解決策を提供し、発展を助ける職業。「舌先三寸」という言葉もありますが、舌を駆使する仕事という自嘲の上に「舌の下三寸」の「春愁」を感知しているのかもしれません。「春愁」とは、すぐ解消するものではなく一定の長さをもって留まって存在する感情。「あたりにて」は、留まり続ける「春愁」を自覚しての言葉の使い方。ここのところずっと我が「舌の下三寸あたりに」留まっているこいつが「春愁」なのだと認識しながらも、告げねばならぬこともある。この職業ならではの悲哀と憂いの一句であります。
 

五月雨を集めて涼し最上川

 投稿者:松尾 芭蕉  投稿日:2018年 1月 7日(日)14時03分51秒
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  名句の推敲前後を見比べる 原句 五月雨を集めて涼し最上川
            最終形 五月雨を集めて早し最上川

推敲とは何か?完成した俳句を冷静な目で見直す、作句に不可欠な作業。俳句を詠むと、初心者は満足し、完結してしまいがち。だかそこで、客観的に句を見直してみる必要がある。これを「推敲」という。俳句は短い分、一字変わるだけで句に劇的な変化がもたらされる。まずは五・七・五になっているか、季語は一つだけ入っているかという、基本的な部分をチエックし、誤字・脱字にも気を配る。推鼓には、自分の伝えたいことが正しく伝えられているか見極めるための冷静な目が必要となってくる。一週間後、一ヶ月後など、時間が経ってからまた句を見直すのも効果的である。
 

金色の世界にあそぶ寒鴉

 投稿者:大高 翔  投稿日:2018年 1月 6日(土)14時01分42秒
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  初心者がやってしまいがちな季語の用い方に「季重(きがさ)なり」がある。これは一句のなかに季語が二つ盛りこまれてしまうことだ。季節感を表す季語は、日本人が長い年月をかけて生活のなかで使い、愛してきた言葉である。それぞれが強い力を持っており、一七音のなかに二つ以上存在すると、互いに主張が強くなりすぎてしまう。そのため、俳句では一句一季語を原則とする。時には季重なりの名句もあるが、初心者は一つのなかに一つの季語を意識して取り組みたい。季重(きがさ)なりは、どちらかを言い換えるのが基本的な直し方だ。

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ジャケットの袖にチョークの粉二色

 投稿者:でらっくま(教員)  投稿日:2018年 1月 5日(金)12時27分31秒
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  自分の「ジャケット」の「袖」に「チョークの粉」が付いているのに気づいたのか。はたまたそんな人物に出会い、この人も教員かもしれないと思ったのか。いずれにしても一読にして、作中人物が教員だとわかる確かな作品です。板書きしているときに袖口に付いたのか、説明をするために振り返ったときに「袖」全体に付いたのか。「粉二色」という観察によって生じるリアリティが、詠み手の鼻腔に「チョーク」の粉っぽさや、乾いた匂いを蘇らせます。「ジャケット」は冬の季語ですから、教室の窓から差し込む鈍い冬の日差し、締め切った教室の人いきれなどが一句の向こうに見えてきます。よい意味での既視感が作品の手堅さとなっています。

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底冷えの病畜棟のゴムホース

 投稿者:雨月(元食肉検査員)  投稿日:2018年 1月 4日(木)17時07分35秒
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  「病畜棟」とは、具合の悪い家畜を健康な家畜とは別の場所で、と畜するための施設だそうです。[と畜場は冷暖房設備があるはずもなく冬の寒さは過酷でした]と語る作者雨月さん。
下五「ゴムホース」という無機物が現れた瞬間、そこでと畜され肉となる家畜たちの皿を洗い流す容赦無い仕事の感触を手に押し付けられたかのように感じます。「搬入の牛百頭の息白し」「牛退けて牛をつめ込む十二月」などの句も書き留めている作者ですが、掲出句「ゴムホース」というモノの存在に強い説明力があります。季語「底冷」は「ゴムホース」というモノの存在に強い説明力があります。季語「底怜」は「ゴムホース」が洗い清めた床に残る水がもたらす寒さでもあり、生き物を殺める心理描写として一句の底に横たわります。

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俳句は生きるためのツール

 投稿者:夏井 いつき  投稿日:2018年 1月 3日(水)14時33分47秒
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  句会ライブでは、俳句の魅力をこんなふうに語ってくれた方もいました。「俳句は人生の浮き沈みに付き合ってくれる恩人」「うつ状態で家事ひとつできない毎日だったのが、俳句を作るようになってからつまらないことを考えなくなり、知らないうちに回復していました」「妻の死がショックでまるで暗い水底にいるような日々でした。俳句のない人生なんて考えられない」「孤独な毎日だったのが句会ライブをきっかけに多くの俳句仲間ができました。こんな温かい人たちに囲まれたのははじめて」....。生きていれば、いいことばかりではなく、イライラすることや落ち込むことだってあるでしょう。老いや病気、さまざまな出来事にも遭遇します。そんなときは、そのありのままを俳句に詠んでみるのです。十七音の中では、取り繕ったり、かっこうをつけたり、背伸びしたり、本心を隠そうとしたりすることはできませんから、その句には等身大の自分が表れます。俳句を作ることに集中していると、考えても意味のないことや、つまらないことに意識が向かわなくなってきます。起こっていることを客観的に見たり、自分自身を再認識したりすることもできるでしょう。俳句とは、心のもやもやをリセットし、自分をニユートラルにしてくれるツール。まるで美しい宗教をひとつ自分の中に持っているかのような心持ちにさせてくれます。意味もなく惑うことがなくなり、ありのままを受け入れることができるようになってくるでしょう。ちょっとやそっとでは動じない、スーッとまっすぐな核か゜でき、心の奥底に清らかな泉のような感情が湧きやまない。俳句を通じて、そんな感覚をぜひ味わってみてください。

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