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(無題)

 投稿者:晶広  投稿日:2008年 3月16日(日)03時50分8秒
編集済
   掲示板に書き込むための感想を途中まで書いてしまったので全部書きました。予想以上に時間がかかりました。眠いです。最後のほうは正直力尽きてます。
 せっかくなのでひっそりと公開。



「ギロチン」は葉留佳像の新鮮な作品でした。葉留佳がこんな感じの暗さを垣間見せるシーンは原作にないわけではないですが、前面に押し出されはしないので。この点は評価に値すると思います。しかし特にギロチンのモチーフに顕著なように、ナルシシズムを抑え切れていないように感じます。「アレは私だ。あの頃の私だ。」「私は人殺しなんだ。」などという文章が出てきて、しかもそれを話者は真面目に言っている(作者は真面目に書いている)のだろうなと判断できるとなると、そのぶんだけ読む側としては滑稽に読めてしまいもするというわけです。「小学生の頃なんてほとんど陵辱されてました、って言ったらどんな顔するんだろう。そう思ったけど、引くことだけは明らかだったのでやめておく。」「興ざめ、とはつまりこういうことを言うんだろう。さっさと服買って帰ろう。」というようなさりげない、しかしよく見ると嫌らしさ満載な文章のほうをこそ磨くべきだろうと愚考します。
「しあわせのおと」は、巧みさの際立つ文体を持つ一方で、真実を語るのに一人称口語文ほど向いていない文体もないのではないか、ということを強く思わされる作品でした。話者の認識の範囲内でしか物事を語れないし、話者が本当のことを言っているのかも読者には判断できないからです。その辺りを視野に入れて文章を組み立てていけばまた違った小説が書けるわけですが、このSSはタイトルが直裁に示すとおり裏表なく「幸せ」について書こうとしているのだとしか読めないため、書けば書くほど本当に書きたいことからはむしろ離れていくでしょう。たとえば、その特徴的な語り故どう見ても客観的判断能力を欠落させている話者に、「渡された缶はちょっとひんやり、ごくごくと飲んでとっても幸せ。私はほわっと笑顔です。」と言われて、「幸せ」と「笑顔」とを一から十まで信用しろとは、少々無茶な要求であるように私には思えます。一人称の話者が現に幸せであることと、一人称の話者が「幸せ」と言うこととは決定的に別の事柄である、というわけです。
 上記二作は共に、語りの内容には注意が十二分に及んでいるのですが、その語りを実現させている背景や、話者がその語りをおこなうことによって何を狙っているのか、などといったメタレベルへの配慮が足りていないように思われます。両者は互いに相反することを表現してしまうことすらある(例:「別にあんたのことなんか好きじゃないんだからねっ!」)ので、もっと気を配ってもいいのではないでしょうか。
 仮に一人称で書いていたとしたら同様の問題に直面したであろう「下弦の月」は、説明的な三人称によってそれを回避していますが、回避し切れているかというと微妙で、もう少し筆を抑えてもよいのではないかという気がしました。たとえば「透徹した眼差しは的を透かして、その先にある未来すら射抜いている。そう言われたら信じてしまいそうなほど、彼女の周囲は静寂に満ちていた。」とか一見上手い文章っぽいですが冷静に読むと意味不明で、ここに象徴されるように、全体的に文章が仰々しすぎ、叙述対象を美化しすぎ、という印象を受けました。そもそもどうして舞台が夜で、空に出ているのが下弦の月なのか。そのほうが絵になるから、という理由が最初に思い浮んでしまう点に、この小説の、イメージ先行で足場を固め切れていない脆弱さが集約されているように思います。
 とはいえ結末の「生涯最後の八節」の場面の迫力は素晴らしいと思いますし、「果てしない堂々巡り」で「これからも考え続ける」とするのは、単一の結論を導き出すよりもよほど倫理的な姿勢であろうとも感じます。
「二人きりの僕らに雨の音は聞こえない。」についてはちょっと長めに書きます。私自身関心のある素材を扱ったSSだからです。その素材とは恭介らの死亡した後の世界のことですが、このSSにおいては過去の同様の作例と比較してかなり緻密に叙述されていると思います。その緻密さは、恭介らの死とその影響を直接に描いたり語ったりするのではなく、それを文章の細部へと浸透させていく、という作者の手付きに表れています。以下、例を三つ挙げます。事故への言及を結末へ至る以前には一度もしておらず、何事もなく日常が続いているように一見見えること。「チェーンを壊す勢いで自転車を漕いでくれる人」のように、鈴と理樹以外のキャラクターを固有名で指示することが意図的に避けられており、彼らが最早遠い存在であると示されること。猫への命名のし方が原作と異なっており、原作からは切断された世界を舞台にしているらしいと暗示されること。またこれは意識的にやっているのかはちょっと疑問ですが、鈴と理樹の二人しかいないのに互いの名前を過剰に呼ぶことから生じている会話文の僅かなぎこちなさが、常に大人数で行動していた頃の名残りの表現であるとすれば、これもまた秀逸な書き方です。キャラクターの描写も非常に上手くて、「猫よりもよっぽど鈴の方がまぁまぁ鳴いている。」などは、理樹らしい見方で鈴らしさを表現するという二重の意図を含んでおり優れた表現です。
 ところで鈴の下着って水色なんですね。
 さて以上のような美点は幾ら評価してもし足りないと思いますが、詰めの甘い部分が散見されるようにも感じられます。たとえば猫がうずくまっているのを見て即座に調子が悪いのだとは判断できないでしょうし、理樹は自転車に乗らないほうがたぶんいいですし、まあこの二つはどうでもいいと言えばどうでもいいのですが、猫への仕打ちの状況ができすぎていて、鈴が事故の話を持ち出すために配置されたのだなと作為の透けて見えるところは大きな欠点です。また「後ろから鈴を抱きしめる」シーンは最後の最後でクリシェに堕したなあという印象です。そして個人的に最も駄目だと思うのがタイトル。一人称話者の視点から「二人きりの僕ら」などと書いてそれをタイトルにしてしまう感傷は、いくらなんでもあんまりではないでしょうか。
「騒がし乙女の憂愁」は内容以前に作者ドンマイだと一見思われますが、姉御が登場していることを考え合わせれば、これが単なるミスに偽装した、姉御シナリオ的ループの暗喩であることは明らかです。ここに作者の原作に対する批評的な意識を見て取ることができるでしょう。ということは無論ありませんが、大変面白い作品だと思います。明るさと暗さの両極を常に揺れ動く語りが、読んでいて非常に楽しいです。たとえば「何となーく他に隠してることがあるんじゃないかとはるちんレーダーが告げていたけど」というふざけた記述の裏に、「はるちんレーダー」なる単語を使ってしまう自身への冷静な観察を読み取るのは容易ですし、「でも、すぐ元気を取り戻せるのが私の強み」という精神的な強さを主張する記述は、その裏側に一抹の弱さをほのめかしているからこそ光ります。「求めてる」という語尾によって、「騒がしくも素晴らしい日々」は必ずしも「ずっと続く」ものではないと自覚していることを暗に示す結末まで、この二面性は一貫しています。件の「メタレベル」を上手く使った作例、と言っていいと思います。
「ヒット」は、いくら猫が一緒にいるとはいえ佐々美の独り言が多すぎです。元々不自然な言葉遣いをするキャラクターであることも手伝って、SS全体が非常に不自然になってしまっていると思います。しかし、なぜだか猫との会話を成立させてしまい、なおかつ「でも、いくら『ささみ』だからといって、あなたに食べられるわけにはいきませんわよ」とか言い出す佐々美はやっぱりちょっと可愛くて、「あら、どうかしたのかしら?」とか間抜けなこと言ってる佐々美も可愛くて、そうした可愛さの表現の巧さにおいてこのSSは際立っていると感じられました。と言いましょうか、佐々美ってこんないいキャラクターしてたっけ、という再発見がありました。
「それは呪いにも等しくあり」は、「逢魔ヶ刻。」などと仰々しく始まり、「僅かに開いた唇、閉じた目、綺麗な睫毛、沈み行く夕陽に照らされた艶やかな茶の髪。」などと執拗な観察をおこなう真面目っぽい文体と、リコーダーをめぐる葛藤という阿呆らしい内容との間に生じる齟齬が読みどころなのだと思いますが、文体を徹底できていないため中途半端に見えます。ただ、最後の二行はちょっと神がかっているなあと思います。杉並自重といわざるをえない「杉並には「なんで私のじゃないの!?」と泣かれた。」から、「意味が分からなかった。」という冷静すぎる突っ込みへといたる流れが面白いです。
 オチが優れているのは「音信」も同様で、これはどう考えても笑えないところが笑いどころであるという極めてアクロバティックなオチになっていると思います。各キャラクターの魅力的な描写には文句のつけようがありませんが、とりわけ佳奈多は、真面目な冒頭で始めておきながら、「ぬいぐるみを抱きしめながら、偉そうに叱る自分の姿が頭によぎる」とか「ロジェ……なんとか」とか「ほとんど全部じゃねーか」とかどんどん変な方向へ曲がっていくのが、可愛いし面白かったです。佳奈多視点でクドと葉留佳を語るのは、この三名のキャラクターの最も美味しいところを書き切れる構成なのだろうと思いました。
 


クレーンクレーン

 投稿者:晶広  投稿日:2008年 3月15日(土)23時09分43秒
   チャットに入っても左上に赤いX(バツではなくエックス)が表示されるばかりでまったくつながらず、ファイアーウォール切ったりJavaの設定いじったりJavaのインストールをやり直したりと一時間ほどの試行錯誤の果てに、なんか私のパソコン固有の問題ではなくそもそもなんらかの理由で繋がりにくくなっているらしいことが判明しました。なんだってー。掲示板に書き込むための感想を途中まで書いてしまったよ。  

紅い女たち

 投稿者:晶広  投稿日:2008年 3月 9日(日)14時04分32秒
   リトバスSS連作掌編の最後の三本を更新。これで完結です。
 ついでにかきさんとこの企画に投稿したSSを、こちらも三本更新。微妙に手を入れてありますが、微妙すぎてどこに加筆したのか私も覚えていません。
 というわけで同時に六本更新という快挙。まあ溜め込んでただけだけどさ。


 で、今まで私は自作をリトバスSS情報サイトに登録していなかったわけですが、りょとさんとの間で、
「登録したほうが楽しいんじゃね?」
「楽しいかー。じゃあしよう」
 とかそんな感じの会話が交わされた結果、登録すること相成りました。
 そこで気付いたのですが、私はどうも説明文というかキャッチコピーというかその手の文章を書くのが物凄く苦手なようです。ぽーさんのとか参考にしようとしたけど無理だった。もう超適当だよ。



>えりくらさん

 目が落ちてるから拾ってくるといいと思います。
 それにしても何が( ゚д゚)なのかまったくわかりません。えりくらさんは何か幻とかその手のものを見たのだと思われます。
 百五十枚とか言うと私が百五十枚分の文章を頑張って書いたように見えるのでちょっと補足しておきますと、引用が結構長いです。エロゲのテキストは一文が短い上に全部改行しているので、引用するとなると分量はそれほどでもない割には枚数を使うのです。
 ウェスターマーク効果は別に勉強しなくていいと思います。私もよく知りません(笑)。

 行商人になるには転職ナビとか無視して、さっさと馬車買って旅立ってしまうのがいいんじゃないでしょうか。
 東京にお越しの際は連絡ください。
 それと関係ありませんが「Re:LittleBusters!!」は毎週楽しみにしているので更新頑張ってください(プレッシャー
 

風の噂で君の話を聞いたんだよ

 投稿者:えりくら  投稿日:2008年 3月 9日(日)00時15分39秒
  >一年半くらい前に自分で書いた幼馴染み論

 ( ゚д゚)

>原稿用紙に換算するとおそらく百五十枚から二百枚ほど

 (  Д ) ゚ ゚



 とりあえずウェスターマーク効果のことから勉強しなおしてきます……

 とりあえず行商人になるため転職ナビを探りましたが一向にそれらしいのが見つかりません。
 
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彼女たちは気付いていない。

 投稿者:晶広  投稿日:2008年 3月 8日(土)00時58分7秒
   書籍として刊行されている文章はそれを買えばいいのですが、そうでないものは掲載されている雑誌の該当頁をコピーして手元に置いておくことになります。で、そのコピーを整理していたところ、それに混じって、一年半くらい前に自分で書いた幼馴染み論の印刷したやつが出てきて、思わず読みふけってしまいました。原稿用紙に換算するとおそらく百五十枚から二百枚ほどになると思われる比較的長めの文章で、長森瑞佳(ONE)、桜橋涼香(秋桜の空に)、藤枝保奈美(月は東に日は西に)、近衛七海(ラムネ)のシナリオの分析を通じて、幼馴染みという属性が持つ最良の可能性を掬い上げようと試みた論考です。出来は正直よくないし、基本的な発想は同じだとは言え今の私とは随分考えが違っている箇所もあって、だから公開は絶対にしませんが、読んでいると自分の文章ながら結構面白くはありました。そもそも幼馴染みなんつーテーマでこんだけの分量の文章を書いているという事実そのものが馬鹿馬鹿しくて面白いわけです。
 今この文章を書きなおすとしたら、個々のシナリオの読解を中心にするのではなく、もう少し大掴みに書いて話を一般的な方向へ広げていきたいところです。幼馴染みと創作の関係とかさ。それと取り扱うキャラクターについては考えなおす余地が多分にあります。保奈美は無理矢理論に組み入れている印象だし、やっぱりこのシナリオは駄目だと思うので、扱わないか批判的に扱うかその他大勢の一つとして扱うかのどれか。そして新たに加えるべきなのは、早坂日和(みずいろ、コンシューマ版追加シナリオのほう)、玉城麻衣子(インタールード)、鑑純夏(マブラヴ、マブラヴオルタネイティヴ)。新日和はちょっと論旨からはずれる展開が待っているのでやめたのだったかな。麻衣子は執筆時一度は扱おうとしたもののマイナーすぎて外した記憶があります。純夏は当時そもそもオルタやってませんでしたが、これはラムネ以後最も重要な幼馴染みゲーだと思うので必須です。と、細かい事例として取り扱ってもいいシナリオというのは無論他にいっぱいあるのだけれど、メイン格として扱えるのはこの辺りかなあと思います。
 そしてこうして改めて構想を書いてみると、この幼馴染み論を上手く書けなかった理由がよくわかります。結局のところ私の趣味の暴露でしかないからです(笑)。


 ところで同時にもう一つ面白い文章が出てきましたのでこちらの話も。これは私が書いたものではなくて最初に言ったコピーで、Edward Alexander Westermarckの一九二六年の著作A Short History of Marriageの邦訳『人類婚姻史』(江守五夫訳、一九七〇年、社会思想社)の、外婚制を扱った第四章の全文です。ちなみにこの『人類婚姻史』という書名ですが、これにはちょっと注意が必要です。というのも『人類婚姻史』というのは元々一八九一年の同著者の著作The History of Human Marriageの邦題で、これが極めて長大な著作であるため日本での出版が不可能であったため、著者自身によるその抄版であるA Short History of Marriageを代わりに翻訳し、タイトルだけ『人類婚姻史』にして出版した、という経緯なのです。
 で、そんな超昔の文献が一体どうしたというのだーとお思いでしょうが、詳しいひとなら最初からお気付きのとおり、これは幼馴染み属性に対する批判においてよく持ち出される「ウェスターマーク効果」の出典なのです。前述の一八九一年の著作が出典なので、厳密には、日本語で読める文献の中で最も出典に近い文章、ということになりますが。ウェスターマーク効果というのは、Wikipediaから引用してしまえば「幼少期から一緒の生活環境で育った相手に対しては、次第に性的興味を持つ事は少なくなるという現象」のことで、なるほど確かに幼馴染み属性はほぼ全否定です。個人的には、ウェスターマーク効果は幼馴染み属性とはほとんど相反しないのではないかなあなどと思っているのですが、この辺り書き出すとやっぱり私の趣味の暴露にしかならないのでやめます(笑)。
 ともかく、こんな文献までコピーしてきて、当時の私は何をしていたんだろうなあと改めて謎です。そこまで幼馴染みを探究したいかと。ぶっちゃけただの馬鹿だろうと。ちなみに私、この本に書かれている、婚姻制度とかそういうものに関する専門知識は皆無です。ぶっちゃけウェスターマークが誰なのかもよくはわかっていなくて、このA Short History of Marriage第四章は本当に幼馴染みへの興味から読んだだけです。しかし読んでみてわかるのは、ウェスターマークはあくまで婚姻制度とかインセストタブーとかの話をしているのであって、幼馴染みの話は出てはきますが実は最重要では全然ないということです。

「一般的にいって、幼少期からきわめて密接に一緒に暮らしてきた人々の間には性愛感情が著しく欠如しているのである。いなむしろ、この場合には、他の多くの場合と同様に、性的無関心は、その行為が念頭に浮かぶ際にいだかれる積極的な嫌悪の情と結びついているのである。これこそが、外婚制的禁制の基本的な原因だと私は思っている。幼少期から密接に一緒に暮らしてきた人々とは一般に近親者である。それゆえ、彼ら相互の性関係に対する彼らの嫌悪感は、慣習や法において近親者間の性交の禁制として現れるのである。」(『人類婚姻史』)

 ほらね。つまりウェスターマークは別に幼馴染み否定論者では必ずしもないんだよたぶんきっと。だから幼馴染み好きのひとは彼を攻めないであげて!
 とまあ上記の話はみんな、だからなんなんだ、と言われると困る類のものではありますが、ウェスターマーク効果という名前は知っていても、ウェスターマーク自体に突貫したひとはあまりいないのではないかな、と考えてちょっと紹介した次第です。或いは、書いている最中だったリトバスSSがまったく形にならなくて没って、代わりのネタも全然出てこないことからの逃避が目的であるとも言えます。ネタないなあ。
 
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あれ?

 投稿者:晶広  投稿日:2008年 3月 3日(月)18時29分9秒
  アニメの話を書き込もうとしたら弾かれた。一体なんなんだ。  

俺は大船だ。

 投稿者:晶広  投稿日:2008年 2月27日(水)18時25分33秒
   わーい二月も終わるのに二月中に終わらせるとか言ってたSS全然書いてないぜー。


 絲山秋子『沖で待つ』を読みました。表題作は小説の出来とか以前に、書かれている内容について思わず深く考え込んでしまう作品でした。説明しておくと、会社の同期の男女がいて、恋愛関係には全然ないわけですが(男のほうは結婚しているし)、一方が死んだらもう一方が死者のHDDを破壊しに行く、という約束を結んで、男が死んで女がそれを実行する話です。なぜHDDを破壊するかというと見られたらやばいものが入っているからなのですが、これってオタクには切実な問題だよねえ(笑)。仮に自分が死んだとして、親の手によってエロ本が発見されるくらいならまだしも、パソコンの中に入っているエロゲやらその二次創作が発見されるのは絶対に避けたいところですし、触手同人ゲーに至っては救いようなぞ欠片もありません。ここまで書いて気付きましたが、別にパソコンの中身のみが問題なのではないなあ。押入れからごろごろと出てくるエロゲーエロゲーまたエロゲー。そのほとんどに幼馴染みが登場することに気付いた両親は、ああ定番の属性なんだねとスルーしてくれるか、それともそういう嗜好だったのか…と悟らなくてもいいことを悟るか。
 と鬱な考えに浸らざるをえない作品ですけれど、正直言えば「イッツ・オンリー・トーク」とか『海の仙人』とか「袋小路の男」とか「アーリオ オーリオ」とかのが面白かったです。つまらなくないとは思うのですが。でも「沖で待つ」というタイトルは好き。
 
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ホロ以外のことは知らない

 投稿者:晶広  投稿日:2008年 2月22日(金)00時07分55秒
  >リーマンさん

 違いましたか。だったら気のせいかな。嫉妬なんてしてません。嘘じゃありません本当です。
 青木淳悟は既刊二冊を読んだ結果、「クレーターのほとりで」と「ふるさと以外のことは知らない」がとても面白かったですが、私ごときでは太刀打ちできない作家かもなーという気が正直しています。得体が知れなさすぎるというか。新刊出たらたぶん買いますけどね。しかしそれにしても超怪作「ふるさと以外のことは知らない」を年間ベストに選ぶとはさすがリーマンさんです。

>仮面の男さん

『シゴフミ』の名前を挙げたのは今期から始まったライトノベル原作アニメという点で『狼と香辛料』と共通しているからで、読まないと書いたのは『狼と香辛料』がそうであったようにアニメの視聴を機に小説版に手を伸ばすことは、アニメがさほど好きではない現状ではしないという意味においてでした。ただよく考えればアニメは小説にないオリジナル展開らしいのでさほど関係ないのかも。『夏月の海に囁く呪文』は調べてみたら普通に良質な短編集という印象なので手を伸ばしてみます――とかそんなことを言って結局読まないことが結構ある私ですが、できる限り。
 というか、ホロが可愛いことを「当然過ぎるほど当然」と言い切るその力強さに感動しました。そうですよね当然ですよね。
 

読まないと言ってるから余計なお世話かもしれませんが

 投稿者:仮面の男  投稿日:2008年 2月21日(木)22時27分42秒
  もし雨宮諒という作家を計りたいと思っているなら、ノンシリーズの『夏月の海に囁く呪文』を読んでみれば良いと思います。それで駄目なら多分、シゴフミも含めてどの作品を読んでもあわないはずです。

ホロが可愛いのは当然過ぎるほど当然のことなので、敢えて何も語りません。
 
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ロレンス以外のことは知らない

 投稿者:匿名希望(26、リーマン)  投稿日:2008年 2月21日(木)02時59分17秒
   ぼくが読んだときはロレンスが無色透明という印象はあまりありませんでした。大谷さんのロレンスへの嫉妬があるような気がしないでもないです。

 そんなことよりも青木淳悟の「ふるさと以外のことは知らない」はぼくの2006年ベスト小説だったんですけど、巷の反応が薄すぎて寂しい限りです。大谷さんが褒めるべきだと思うんだ。
 

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