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 投稿者:晶広  投稿日:2008年 7月11日(金)03時24分21秒
  通報 編集済
  1――荒地における生

 リトバスは過去のKeyの作品とは決定的に別種の結論へといたる物語です。その切断がもたらされた瞬間は具体的に指摘できます。「いい/よくない」の選択肢においてプレイヤーが「よくない」を選んだ瞬間がそれです。これまでのKey作品であればこの選択肢は存在せず、プレイヤーは抵抗などまったくできずに外に放り出されていたはずです。
 言い換えれば、「いい」を選んだその後の鈴と理樹を描くSSは、過去のKeyのSSへと近接していきます。この観点から注目されるべきは、「13月になれば君に贈りたいものがあるんだ。」(Kanon、最中)、「世界の果てという名の雑貨屋」(Kanon、なげ)の二作であると思われます。別の作品を同じものとして取り扱うという態度は慎重に自重すべきものですが、それでもそうした作業をしてしまえば、この二つは、過去に「奇蹟」が起きて救われた者がいた、救われなかった者もいた、そしてもう二度と「奇蹟」は起こりえない、そんな場所を舞台に描かれます。「奇蹟」後の残酷な「現実」を生きるキャラクターたちの物語、と簡単に言い換えてしまっても構わないかもしれません。そしてこれは当然「虚構世界」後を生きる鈴と理樹の相似形でもあります。

「その女の子と男の子は、その後、晴れて、本当の恋人になりました。
 ――そして、幸せに暮らしました?
 ――おとぎ話なら、そうなるんでしょうけどね。でも、残念ですけど、これは現実の話なんです。だから、そんなにうまくはいきませんでした。」(「世界の果てという名の雑貨屋」)

「おとぎ話」と「現実」の対比。「奇蹟」という前者から踏み出して、「現実」という後者に踏み入ってしまった人びとの物語。優れてリトバス的と言っていい想像力がここには働いています。もう一方の作品からも引用します。

「奇跡とか、神様とか、掌の上の運命線とか、信じていたものなんて、とっくに壊れちまったんだ。

 結局、俺達はさ、自分の足で歩くしかないんだから。」(「13月になれば君に贈りたいものがあるんだ。」)

「奇跡とか、神様とか、掌の上の運命線とか、信じていたもの」、リトバスで言うところの虚構世界が崩れ落ち、仲間をすべて失った後の鈴と理樹は、まさしく「自分の足で歩くしかない」でしょう。そして鈴と理樹の二人は「自分の足で歩」こうとするとき、こう感じるでしょう。

「この世界はひどいんだ。
 ひどい、世界なんだ。」(同上)

 とは言え、二人が次のような思いへ至るのも無理なことではないはずです。

「この世界も捨てたもんじゃない。
 まだ、ここで生きてやろうか、なんて偉そうに思った。」(同上)

 この結論は、「女の子と男の子」が「そんなにうまくはい」かなかった「世界の果てという名の雑貨屋」よりは希望的、と言うべきでしょう。そして僅かばかりの希望だけはこうして繋ぎえた「13月になれば君に贈りたいものがあるんだ。」のほうが、二人生き残った鈴と理樹の姿に近いのだろうと私には思われます。思いたいだけかもしれません。
 というわけで、ここではリトバスとほぼ同じ枠組みを持つSSを提示してみました。これ以降はリトバスに対して様々な形で批評的に介入するSSを取り扱います。
 

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